行政書士 仁井田 学
理念
不撓不屈
至誠創造
誠実に努力しよう、幸運な道は必ず開かれます。
経歴
北海道札幌市生まれ。 北海道札幌丘珠高校卒
高校卒業まで札幌で過ごす。大学受験に全敗し、上京する。
金銭的に苦しかったため新聞奨学生として、都内の毎日新聞販売店に住み込みで働きながら、大学進学を目指し予備校に通う。
しかし、二年浪人しましたが、結果が出ず学業の途を断念する。
自分の配達ミスにより、大切な読者を失ったことをきっかけに新聞セールスに目覚める。
洗剤とビール券を武器に、対抗紙と真っ向勝負!
おかげで私が担当していた地区では、増紙を果たすことができ、私自身は拡張(押売?)コンクールで、都内一位の表彰を受けました。。
しかし、平成二桁台に入ると、状況が一変、新聞が売れないのです。
洗剤とビール券に加え、西武ドームの招待券やとしまえんの券、シャンプーやせっけん、ティッシュペーパーなど、武器を増やし強引な営業力と破壊力に磨きをかけても、だんだん通用しなくなっていきました。
その理由は、時代の変化にありました。
無読者層拡大の背景には、活字離れとインターネットの普及がありました。
旧態依然の新聞業界は、時代の流れについていけませんでした。
当時は、全国安定400万部、都内36万部、というのが合言葉でした。
三大紙の一角を担っていた時代から、大きく変わってしまいました。日経に抜かれるのも、時間の問題でしょう。
令和時代の今、電車の中で新聞を読んでいる人が、どれ程いるでしょうか?
新聞業界は、完全に廃れてしまいました。あの時に辞めて、本当に良かったと思っています。
30歳のとき、12年間勤めた新聞業界を離れ、札幌に帰郷しました。
しかし、当時は大不況の真っ只中、学歴も資格も手に職もない私は、なかなか就職できませんでした。
求人数自体が少なく、そのうえ資格や経験を要するものばかりでした。
職業運転免許(大型二種、けん引、大型特殊)を取得する。札幌のバス会社への就職を考えましたが、当時は正社員の募集はなく、低賃金の契約社員の募集ばかりでした。
「やればやっただけ稼げる、頑張れば頑張っただけ稼げる」という募集広告にひかれ、札幌のタクシー会社平岸ハイヤーに就職し、運転手デビューする。すすきのに毎晩張り付いて、忘年会シーズンの12月期には、70万円超の売り上げを叩き出す。
夜勤ドライバーとして、2年半程度勤めるが、不況には勝てず再び上京することを決意する。
平成18(2006)年、km国際自動車に入社し、五反田営業所に配属され東京でのタクシー生活が始まる。
テレビ北海道の、「けいざいナビ」という番組に密着取材を受け、海を渡ったタクシードライバーというテーマで、放送される。
五反田営業所閉鎖に伴い、三鷹営業所に異動。
好調だった売り上げは、平成20(2008)年リーマンショック、平成23(2011)年東日本大震災、平成26(2014)年消費税8%への増税の影響を受け、売り上げ激減、歩合制のタクシードライバーでは、厳しい生活を余儀なくされる。
車内でゲロを吐かれるなどの、営業妨害を受けたり、客とのトラブルなど様々な修羅場をくぐり抜けてきました。
まさにタクシーの接客は、言葉の格闘技といっても過言ではないでしょう。
景気や社会情勢に大きく影響を受ける仕事から、安定した仕事への転職を目指し、行政書士と並行して他資格の学習を始める。
第二種電気工事士、消防設備士(乙6・乙7)、二級ボイラー技士、危険物取扱者等を取得し、大正クエスト入社。
電気工事士として、日本メックスではNTT中央研修センタとNTT武蔵野研究開発センタを、東急ファシリティサービスでは東急百貨店渋谷本店の現場を経験する。
平成29年度 行政書士試験合格。開業、今に至る
所属
・日本行政書士会連合会 第19081767号
・東京都行政書士会 第12581号
・府中支部
・入管申請取次行政書士 (東)行19第529号
・日本行政書士政治連盟
・東京行政書士政治連盟
・東京行政書士協同組合
・伊藤塾 秋桜会
・毎日奨学生OB会
親に頼らず、自力で進学!
保有資格
法律系 |
・行政書士 |
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運輸系 |
・運行管理者 |
建設・設備系 |
・第二種電気工事士 |
その他 | ・珠算二級 |